HOME 企業講演 10代の子ども人権講演 社員研修 社長ブログ
お客様の声 プロフィール マスコミ掲載 お問い合せ 実 績

■笹岡郁子プロフィール■
30代のあなたに、打って出て欲しいと願い私の肩書きは、「スーパー打撃コーチ」としました。


Q:座右の銘は

「志」


Q:やる気の源は
 
野球を見ること。スポーツニュースを見て、泣くこと。


Q:ストレス発散は

仲間と一緒に、夢と目標を語ること。


Q:1ヶ月にどのくらい本を読むか

20冊くらい。ビジネスと健康と美容。歴史のマンガ。


Q:購読している雑誌新聞は

「日経新聞」
「ニッカンスポーツ」
「Number」


Q:いつも持ち歩いているものは

デジカメ
100円ノート


Q:周りから言われることは

笹岡さんみたいな人は大阪にいない。笹岡さんみたいな人は東京にいない。


Q:いまハマっていること

玄米菜食


Q:これからの夢

子どもと一緒に世界の貧困な国を訪れる。社会貢献。
 ●プロフィール

  1965年、高知県生まれ。
  スポーツ観戦オタク。特に野球、中でも阪神タイガースファンです。
  幼少の頃、脊柱そくわん症を発病し中学3年生の春「リスクのある手術をするか」、「普
  通高校に通わず養護施設に入園するか」で悩み、やがてその後の人生に大きく影響す
  る決断をする。読売新聞「ヤンキー自分流に生きる」をはじめとして、多くのマスコミの注
  目を集める。


 ●経歴

  高校卒業後、米国化粧品会社の営業社員として百貨店に勤務。
  その後転身して、日商2級取得し経理畑12年。
  会社の鏡として映し出される経営管理の仕事にのめり込む。

  大手派遣会社の管理部門に勤務時代、新システム立ち上げのプロジェクト責任者とな
  る。 ’00年に入社した大阪の中堅外食産業の会社では、半年後に経理係長、1年後
  に会社再編の経理課長を歴任。

  企業の体力である人材育成を提唱し、会社の改革に取り組んで実績を残す。 企業改 
  革の実体験を通して、独自の人材育成理論を確立。
  ’03年、有限会社ノモ・ソリューションを設立。
  人権講演、NTTや市町村合併による行政職員のモチベーション研修を行う。
  ノモソリューションの会社案内はこちらから>>


  ITプロジェクト責任者抜擢は突然に…(派遣会社勤務時代編)
  
  プロジェクト完成まであと残り1ヶ月というとき
  あろうことか、前任責任者の失態により期日に間に合わないという事態が起きました。
  当初からプロジェクトに参加していなかった私は、横目で「やばいよ」と思いながらも
  参加していない外野の意見には「価値が無い」と見なされていました。


  課の上司が顔を紅潮させて「何とかやってくれ!」と申し出があったのは、すでに30日
  を切っていた時でした。この時、私が学んだことは「プロ意識」です。
  職場で、過信したり自分に甘んじては、全体の士気を下げ迷惑をかけると実感しま
  した。

  
  学歴ナシ、資格ナシ、コネナシから
  「私が出来る小さな一歩」行動の実績を積み上げ、抜擢されてもやり遂げることが出来
  ました。
  当時は、無理難題にへこみそうでしたが、声をかけてくださった上司に、感謝していま 
  す。


  1999年7月金融検査マニュアルが策定されて…(外食産業勤務時代編)

  金融庁の元、企業も変わらざる終えない時代に入りました。
  翌年、2000年早々に入社した大阪中堅外食産業は、会社再編時期と重なりました。

  周囲の声は
  「俺たちは、10年20年この会社に尽くしてきた。リストラや企業改革なんて入社して半 
  年のあんたにできるわけがない」。30代〜40代本社勤務の社員が会社の愚痴を言い、
  自分で会社を変えようとしないこんな人たちに「許せない」という感情が湧きました。
  本社と現場の温度差も痛烈に感じ、現場で働く若手スタッフの士気も下がる一方。


  「私はやる!」と腹をくくり、嫌われ役を引き受けて矢面に立ちました。
  この時、私が学んだことは
  1.リスクを取る
  2.襟を正して退路を断つ
  そして、もちろん仕事のプロ意識です。

  目を腫らして「頼む!」と社長から改革宣言をされたとき、
  人生で初めてこの人のために頑張ろう、決意しました。
  捨て身になって頑張ることを、指導してくださった代表に新たな道を開かせてもらいまし
  た。学歴ナシ資格ナシ、コンプレックスだらけの私に機会を与えてくださって本当に感謝
  しています。

社員研修ご担当者様から「OLマニュアル」に取材された内容が、支持を受けています。

講演実績はこちら マスコミ実績はこちら

◆10代の頃、はみ出し者だった人間。
「学歴ナシ・資格ナシ・コネナシ」の元ヤンキーが、会社組織で活躍の場をもらってステップアップしました。あの時、周囲から「くじ運悪い」と言われましたが、実績を積むことが出来ました。

大手派遣会社の新システム立ち上げのプロジェクト責任者、当時600名の中堅外食産業では入社一年後、経理課長に就く。
会社再編に携わった管理職としての実体験に裏打ちされた説得力!

◆学生時代、はみ出し者だったその反動が、社会に出て炸裂していきました。
関西に来て、初めて上司に忠告された一言が「あなたのいけないところは、その方言よ」と、先制パンチを受け、今ではとっても濃い関西人になりました。
上司や先輩たちが、私に向かって火に油を注ぐたびに燃えていったのです。
ヘコむ?やる気をなくす?自信をなくす?
いえいえ、私には無縁でした。だって向かっていく気質が思春期で形成されてしまったから。
やったらやり返す。仕事で勝負する快感を覚えました。

「私にはできません」「無理です」「知りません」口が裂けても言えなかったのです。
仕事にのめり込んでいったのは、言うまでもありません。

◆経理という仕事から、社員のスキルが判断できる。
報告の仕方、提出物の出来不出来、経営感覚をもって戦略を練っているかどうか…。
売上を確保できないと、資金繰りに影響してしまいます。
そして、経理という仕事から会社の真の姿が見てとれます。
今までのこと、これからのこと。
会社を変えるため、嫌われてもいいから、悪しき習慣を断ち切ることに躊躇しませんでした。

自分のことをタイガーマスクやウルトラマンだと思い込み、自分の職場を変えていく手応えを実感しました。サービス残業、徹夜、土日を潰してまでも、手にしたい環境がありました。

「君だからできる」と耳にタコが出来るほど上司から言われ続きたとき私は、立ち上がる決心をしました。昔は、はみ出し者だった人間だったのです。

●小学校に入学
あだ名は、「ガリ」と言われるほど痩せていました。
私は学校で第一人者、はじめてメガネをかけました。
あだ名は、「サル」。痩せて、メガネをかけ、しかも体に異変が…。

●中学校に入学
1年生の後半から少しずつ踏み外していき、3年生で衝撃的な事実を知る。
千人に一人、その中でも重い障害を負っていること、難病にあいその事実を受け入れる勇気がなく、やるせなくて荒れていきました。
もはや言うまでもありません。はみ出し者へ一直線、爆進していきます。

●高等学校に入学
1年生の3学期、手術を受けました。
手術を受ける前、ある二つの選択をしなければなりませんでした。だから手術を選択して…。
心の傷は、癒えることなくコンプレックスへと変わっていきました。
走り出したら止まれない、青春時代を謳歌していました。
素直になれず荒れ果てた三年間、これ以上申し上げられません。
この場をかりて、ご迷惑をおかけした方々に謹んでお詫び申し上げます。
つづきは…。
自叙伝「十五歳の決断」が出版されました。
一人の人間が青春時代に難病に苦しみながら、辛い手術に耐える闘病の記録、あるいは非行から立ち直っていく過程を描いています。
この闘病生活で出会った人たちが、私の人生を大きく変えていきました。

●社会人へ
私は、日本代表、劣等感のかたまりでした。
はみ出し者だったから社会に馴染むには、時間もかかり自信のないダメ人間でした。
頑張っても頑張っても報われない時もありましたが、失敗を重ねながら成功をしていきました。
学歴、資格がなくても社会で通用できる人間なのか、何度も試してみました。
大手派遣会社で新システム立ち上げのプロジェクトの責任者、当時500名の中堅外食産業では入社一年で、経理課長に就きました。
私は、カベにぶち当たったとき、いつも自分に問いかけてみます。
「この悩みは、自分の手で克服できないことなのか?」と。
勇気の一歩を踏み出す前に、「大切な自分」と向き合っています。


職場・仕事の悩みコーチング&講演会講師自己開発の1人立ちネット TOPへ


Copyright 2008 nomo-solution.inc All rights reserved.

10代のこどものSOSいじめ問題・人権講演会講師